Fiorentina



≪04-05シーズン日程と結果≫

前身のフィオレンティーナは1925年創設。2002年セリエBに降格、クラブの経営破綻もありチーム名はフォロレンティア・ヴィオラと変わった。02-03シーズンはセリエC2(4部相当)からの再スタートとなった。デッラ・ヴァッレ氏がオーナーになり、チーム名使用権を買い戻し、再びフィオレンティーナとして02-03シーズンに優勝。03-04シーズンはセリエBが24チームに拡大することを受けて、”棚ボタ”でセリエB昇格。6位の成績をあげ、ペルージャとのプレーオフに勝利し、3年ぶりにセリエAに返り咲いた。

クラブ
 ACF Fiorentina S.p.A.
  創設年度:2002年
  愛称:Viora(ヴィオラ)
  所在地:Viale Manfredo Fanti, 4 50137 Firenze
  Tel:055.5030190
  Fax:055.579572

  HP:http://www.acffiorentina.it/
            e-mail:ufficiostampa@acffiorentina.it
ホームスタジアム
 Stadio Artemio Franchi
 (アルテミオ・フランキ)

 所在地:Viale Manfredo Fanti, 4 50137 Firenze
 Tel:+39 055.5030191
 ピッチ寸法:105 m x 68 m
 収容人員:47.282人
タイトル獲得
☆スクデット(2回)
1955/1956, 1968/1969
☆コッパ・イタリア(6回)
1939/1940, 1960/1961, 1965/1966, 1974/1975, 1995/1996, 2000/2001

☆イタリアスーパーカップ(1回)
1996
☆セリエB優勝(3回)
1930/1931, 1938/1939, 1993/1994
☆カップ・ウィナーズ・カップ
1960/1961
☆Mitropa Cup
1966
応援歌
L'inno della Fiorentina(フィオレンティーナ応援歌)
作詞、作曲:Narciso Parigi(ナルチーゾ・パリージ)

Garrisca al vento il labaro Viola,
ガリスカ ヴェント イル ラバロ ヴィオラ
sui campi della sfida e del valore
スイ カンピ デラ スフィダ デル ヴァロレ
una speranza viva ci consola
ウナ スペランツァ ヴィヴァ チ コンソラ
abbiamo undici atleti e un solo cuore
アビアーモ ディ−チアトレーティ ウン ソロ クオ〜レ

(※)oh Fiorentina,
オー、フィオレンティーナ
di ogni squadra ti vogliam regina !
ディオッニ スクアドラ ティ ヴォリアム レージナ
oh Fiorentina,
オー、フィオレンティーナ
combatti ovunque ardita e con valor !
コンバッティ ヴンクェ アルディータ コンヴァロール
nell´ora di sconforto o di vittoria,
ネオラ ディ スコンフォルト オ ディ ヴィットリア
ricorda che nel calcio e tua la storia!
リコルダ ケ ネル カルチョ エトゥア ラ ストーリア(※)

Maglia Viola lotta con vigore
マリィア ヴィオラ ロッタ コン ヴィゴーレ
per esser di Firenze vanto e gloria
ペルエッセル ディ フィレンツェ ヴァントエグローリア
sul tuo vessillo scrivi forza e cuore
ストゥオ ヴェッシロ スクリーヴィ フォルツァクオーレ
e nostra sara sempre la vittoria
エノストラ サラ センプレラ ヴィットリア
(※)繰り返し

FORZA FIORENTINA !
フォルツァ フィオレンティーナ!

さぁ!歌いましょう♪
旧バージョン(Thanks to:http://www.fiorentina.gr/forum/portal.php)
新バージョン

訳:
挑戦のピッチ、価値を賭けて戦うピッチに、ヴィオラの軍旗がはためく
生き生きとした希望があるからこそ、我々の心は和む
11人のアスリートが心一つになる
それがぼくらの希望のすべてだ

おお、フィオレンティーナ、お前が女王になることを我々は願っている
おお、フィオレンティーナ、お前はどこでも勇敢に戦ってくれる
負けを喫した時も、勝利を手にした時も、常に思い出してくれ
君たちフィオレンティーナがサッカーの歴史を作るということを

すみれ色を身にまとった勇士たちが果敢に闘う
フィレンツェのの誇りと栄光を賭けて
その旗には強さと勇気の2文字を
勝利は必ず我々のものだ
GK
Sebastien Frey(セバスティアン・フレイ)
1980年3月18日、フランスのトノン・レ・バン生まれ、189cm、85kg。果敢な飛び出しと反応の良さが武器。一度乗ると手が付けられないほどスーパーセーブ連発する。将来のフランス正GKのポジションを獲得する可能性を秘めたGK。少年時代はテニスに没頭していたが、GKをしていた父親の影響もあってサッカーを始める。97-98シーズン、カンヌでトップデビューを果たし、瞬く間に評価を高め翌シーズンにはセリエA強豪インテルへ移籍、1999年サンプドリア戦にてセリエAデビューを果たすも4失点とほろ苦いデビューだった。99-00シーズンには出場機会を求めてヴェローナへレンタル移籍、チームのA残留に大きく貢献すると同時に、グエリン・ドーロ最優秀選手に選出されてた。00-01シーズンには正GKとしてインテルへ復帰、01-02シーズンに加入したイタリア代表GKトルドの加入からパルマへ移籍する事となった。パルマでは01-02シーズンにコパ・イタリアのタイトル獲得に貢献している。不動のレギュラーとしてリーグ戦200試合近く出場している。また、04-05シーズン、残留をめぐるボローニャとのプレーオフセカンドレグでも好セーブを見せ、チームのセリエA残留に大きく貢献した。趣味は漫画を読むことで、同時期にパルマに在籍した中田英寿を通じて日本のマンガを入手するほどの日本の漫画マニア。一時期、金髪で髪を逆立てるヘアスタイルをしていたが、それは「ドラゴンボール」に出てくる「スーパーサイヤ人」を真似たものだったとか。05-06シーズン前に1年間のレンタル、シーズン後の完全移籍のオプション付きでパルマからフィオレンティーナに加入した。
『12』 Marco Roccati(マルコ・ロッカーティ)
1975年7月1日、イタリアのピネローロ生まれ、195cm、83kg。身長も高く、キャッチング、判断ともに安定しており、GKとしては平均点。安心してみていられる第2ゴールキーパーだ。出番が少なくても、真面目に練習をこなし好感が持てる。キャリアは93-94シーズン、当時セリエBのラベンナでスタートし、翌シーズンに降格。それでも出番に恵まれなかった。95-96シーズンに移籍したフォルリ(C2)で29試合に出場。再びラベンナに復帰するも2試合出場にとどまった。97-98シーズンにエンポリでセリエAデビューを果たし、28試合出場。98-99シーズンにはペルージャでヒデと共にプレーした。その後、ボローニャ、ピストイエーゼ(セリエB)、レンタルでダンディー(スコットランド)、ナポリ(セリエB)、アンコーナ(セリエB、A)を渡り歩くも、出場機会に恵まれず、03-04シーズンよりフィオレンティーナに在籍している。
『1』 Cristian Sebastian Cejas(クリスチャン・セバスチャン・セハス)
1975年4月21日、アルゼンチンのGualeguay生まれ、183cm、86kg。1994-95シーズンにアルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイでデビューし、2000-01シーズンまで在籍。170試合に出場。2001-02シーズンにセリエBシエナに移籍、17試合に出場。翌シーズンはセリエBアスコリに移籍し、35試合出場と経験を積んだ。03-04シーズンはフィオレンティーナの守護神として46試合に出場。ペルージャとのプレーオフではファインセーブでゴールマウスを守り、セリエA昇格に大きく貢献した。セリエA初挑戦となる04-05シーズンだが、まずは移籍してきたルパテッリとの正GK争いに勝たなければならない。
DF
Giuseppe Pancaro(ジュゼッペ・パンカロ)
1971年8月26日、カラブリア州コゼンツァ生まれ、186cm、84kg。
厳しいタックルが持ち味の経験豊富な元イタリア代表サイドバック。どこかヌケた顔だが予想外にモテモテの男である。同棲中の彼女は妊娠しているようだが、まだ籍は入っていないようだ。1989年、アマチュアのクラブであるS.S.カルチョ・アクリからトリノ・カルチョに入団。しかし、イタリアリーグにデビューしたのは、4部相当のアベッツァーノ・カルチョに移籍した1991-92シーズンのことだった。アベッツァーノでの実績が認められてパンカロは1992-93シーズンにカリアリでセリエAデビューを果たす。1997年、カリアリがセリエBに降格した後、ミラン、ユベントス、バイエルン・ミュンヘンからのオファーを断りラツィオへ移籍。1998年のコッパ・イタリアと1999年のUEFAカップウィナーズカップのほか、99-2000シーズンには現イングランド代表監督のズヴェン・ゴラン・エリクソン氏のもとで、初のスクデットを獲得。2001-02シーズンの終わりまで、ラツィオでチャンピオンズリーグ34試合に出場した。 ミランに移籍した03-04シーズンにも、リーグ優勝を経験している。ミランに所属したこの2年間、リーグ戦39試合に出場した。ラツィオ、ミランでチャンピオンズリーグに出場経験があるのも心強い。05-06シーズン前にフィオレンティーナに電撃入団した。契約は2年。
イタリア代表としては、1999年4月28日のクロアチア戦で初キャップ。27歳という遅咲きの代表入りだった。以後19試合出場の経験を持つ。
パンカロは各所属クラブでのデビュー戦の連続零封記録が続いている。
『21』 Tomas Ujfalusi(トーマス・ウィファルシ)
1978年3月24日、チェコのRYMAROV生まれ、185cm、76kg。中盤を安定させるために時折守備位置を押し上げる才能豊かなセンターバック。また、ブンデスリーガで磨かれた1対1の強さが売り物。キャプテンシーにも長けている。キャリアを積み重ねると共に成長し、母国チェコにとって欠かせない存在となっている。1997-98シーズンにSKシグマ・オロムツでデビュー。その年のチェコリーグを3位で終え、UEFAカップ出場資格を得た。1998-99シーズンも国内リーグを4位で終えてUEFAカップ出場資格を獲得し、ウィファルシもこれに貢献した。2000-01シーズン途中にハンブルガーSVに移籍。すぐに人気選手となった。翌シーズンは4位でシーズンを終えてUEFAカップ出場権を獲得した。2003年12月、膝の靱帯を断裂し、3月初めまで戦列を離れていた。デビュー以来7シーズンで187試合出場6得点。ナショナル・チームでは2000年U-21欧州選手権準優勝メンバー、EURO2004では、グループリーグ1位通過が決まっていたドイツ戦の1試合を除き、4試合に出場している。
『25』 Christian Maggio(クリスチャン・マッジョ)
1982年2月11日、イタリアのMONTECCHIO MAGGIORE生まれ、182cm、73kg。U-21イタリア代表経験もある右サイドバック。1999-2000シーズンにセリエBヴィチェンツァにてプロ生活を始めるも、このシーズンは出場機会がなかった。00-01シーズンはセリエAに昇格し、6試合出場。翌シーズンは再びセリエBに降格し、27試合出場1得点。02-03シーズンはわずか5試合出場にとどまった。03-04シーズンよりフィオレンティーナに在籍し、40試合出場1得点。この若さにてセリエB、セリエA、昇格、降格を味わっている。
『55』 William Viali(ウィリアム・ヴィアリ)
1974年11月16日、イタリアのVAPRIO D'ADDA生まれ、184cm、80kg。粘り強いマンツーマンディフェンスが武器。1993-94シーズンにセリエC1のFIORENZUOLAでプロキャリアをスタート、セリエAデビューは97-98シーズンから在籍したレッチェだった。レッチェで4シーズンプレーした後にベネツィアに移籍、02-03シーズンはペルージャでプレーした。03-04シーズンはアンコーナに活躍の場を移したが、冬のメルカートでフィオレンティーナに移籍。ディフェンダーの中心としてセリエA昇格に貢献した。
『3』 Dario Dainelli(ダリオ・ダイネッリ)
1979年6月9日、イタリアのPONTEDERA生まれ、183cm、75kg。プロキャリアの始まりは1996年から所属したエンポリ(当時セリエB)だが、チームが翌シーズンセリエAに昇格しても出場機会は無かった。1998-99シーズンセリエC2のCAVESEに移籍し、出場機会を得たが、わずか10試合にとどまった。1999-2000シーズンにセリエC1のFIDELIS ANDRIAに移籍、28試合に出場。00-01シーズンからはセリエAに活躍の舞台を移し、レッチェ、ブレッシア、ベローナと出場機会は少ないものの、キャリアを積んだ。02-03シーズンから所属したブレッシアでレギュラーとして活躍、2シーズンで55試合に出場した。03-04シーズンは今一つの活躍だったが、潜在能力は高く評価されており、以前、ユヴェントスやパルマへの移籍も噂されたが、04-05シーズン前にブレッシャが所有権を半分譲るかたちでフィオレンティーナに加入した。そのシーズンの冬の移籍市場でフィオレンティーナに完全移籍した。
『19』 Mirko Savini(ミルコ・サヴィーニ)
1979年3月11日、イタリアのローマ生まれ、182cm、74kg。97-98シーズンにセリエC1のLODIGIANIでデビュー以来、毎年コンスタントに30試合前後出場している左サイドバック。03-04シーズンの冬のメルカートでアスコリ(セリエB)からフィオレンティーナに移籍し、セリエA昇格に貢献した。セリエAは04-05シーズン初挑戦となるだけに、その活躍は未知数だ。
『33』 Daniele Delli Carri(ダニエレ・デッリ・カッリ)
1971年9月18日、イタリアのFOGGIA生まれ、184cm、79kg。1988-89シーズン、セリエC2のBISCEGLIEからキャリアが始まった。1993-94シーズンにトリノでセリエAデビューを飾った。ジェノア、ピアチェンツァ、トリノを渡り歩き、2004冬の移籍市場でセリエAのシエナから当時セリエBフィオレンティーナに加入した。プロ生活17シーズン目を迎えるベテランである。
『87』 Antonio Aquilanti (アントニオ・アクィランティ)
1985年11月8日、イタリアのLANCIANO生まれ、177cm、74kg。03-04シーズン、セリエBのペスカーラでデビュー。20試合でプレイしたDF。04-05シーズン前の移籍市場で獲得した期待の若手選手。
Manuel Pasqual(マヌエル・パスクアル)
1982年3月13日、SAN DONA' DI PIAVE生まれ、178cm、71kg。将来を嘱望される左サイドバック。 99-00シーズンにアマクラブでキャリアをスタートさせた。01-02シーズンにセリエC1のトレヴィーゾでプロデビュー。シーズン途中からアレッツォに所属し、03-04シーズンの同クラブのセリエB昇格に貢献した。04-05シーズンはアレッツォの主力として39試合に出場した。05-06シーズン前、ローマ、ウディネーゼ、メッシーナの3チームも獲得に動いていたが、フィオレンティーナに加入した。
Alessandro Gamberini(アレッサンドロ・ガンベリーニ)
1981年8月27日、ボローニャ生まれ、185cm、78kg。97-98シーズンから地元クラブであるボローニャに在籍。99-00シーズン、18歳時にセリエAデビュー。02-03シーズンはセリエBのヴェローナにレンタル移籍したが、それ以外はずっとボローニャでプレーしていた。04-05シーズンまででセリエA78試合に出場している。04-05シーズンは28試合に出場してイエローカード5枚を受けているが、DFとしては少ない方ではないだろうか。一方、ガンベリーニは、シェフチェンコ(ACミラン)キラーでもある。とは言っても、彼を完璧に止めるわけではない。怪我させてしまうのだ(笑)2001年には、正面衝突で鼻骨骨折を負わせ、2005年には落ちてくるボールを捕らえようとして足が接触し、脛の筋肉に穴をあけたことがある。2005年夏に約300万ユーロ(約3億9600万円)でフィオレンティーナに加入し、2009年までの契約を結んだ。
MF
Stefano Fiore(ステファノ・フィオーレ)
1975年4月17日、カラブリア州コゼンツァ生まれ、181cm、75kg。
洗練された技術と戦術眼に優れたイタリア代表MF。お膳立てだけでなく、自らゴールも決められる攻撃的MFだが、中盤ならどこでもプレー出来るオールラウンダーでもあり、攻守にバランスのとれた貴重なプレーヤーである。サッカー選手であった父の影響からサッカーを始め、1992年にコゼンツァの下部組織に入団、93-94シーズンにセリエBにてプロデビューを果たし、翌シーズンに加入したパルマにてにてセリエAデビューを果たした。96-97シーズンに在籍したキエーヴォにて当時のマレザーニに能力を高く評価されてレギュラーとして活躍、数年前にB昇格したばかりのチームを6位に躍進させた。97-98シーズンよりパルマへ復帰、98-99シーズンにはUEFAカップ、コパ・イタリアの2冠に貢献したが、このシーズン得点王となったアモローゾとのトレードにてウディネーゼへ移る事となった。ウディネーゼでも素晴らしいパフォーマンスを示すと2000年2月23日、スウェーデン戦においてイタリア代表デビューも果たし、同年に開催されたEURO2000でも全試合に出場、準優勝に貢献した。その後も代表の常連となり、ワールド杯欧州予選でも6試合に出場し本大会出場権獲得に貢献する。しかし、2001年に移籍したラツィオにて調子を落としてしまい、2001年11月の日本戦を最後に代表から遠のき、翌年のワールド杯もメンバーに選出されなかった。02-03シーズン、ラツィオはマンチーニ監督を迎えると再びその能力を発揮、抜群の存在感を見せ昨季の汚名を返上、この活躍から再び代表復帰を果たEURO2004ではメンバーにも選出されている。03-04シーズン終了後、クラブの抱える財政難によりコッラーディと共にスペインのバレンシアへ移籍。しかし、スペインスタイルのフットボールに馴染めず、20試合出場2得点と本来の活躍はできなかった。05-06シーズン前にフィオレンティーナが、1年間の期限付き移籍で獲得。契約には、来年夏に完全移籍で獲得できるオプションが付帯している。フィオレンティーナで活躍し、2006ワールドカップに向けて調子を取り戻したいところだ。
これまでの獲得タイトルは、パルマではUEFAカップ2回(1995、1999)、コッパ・イタリア1回(1999)、ラツィオでもコッパ・イタリア1回(2004)を獲得している。
『7』 Angelo Di Livio(アンジェロ・ディ・リービオ)
1966年7月26日、ローマ生まれ、173cm、73kg。セリエBパドヴァ時代に名将トラパットーニの目に止まりユベントスへ加入。3度のスクデット獲得を始め、1996年のチャンピオンズリーグ優勝など、数々のタイトル獲得した経験を持つ。イタリア代表では1995年のデビュー以来40キャップを数える。2002年、フィオレンティーナが破綻した時、他クラブからのオファーを断り、「人生にはお金よりも大切な物がある」として残留した。年俸9割減だったという。クラブと新たに1年契約を結び、38歳で04/05シーズンを迎えるが、そのスタミナは衰えることを知らない。
『29』 Gianni Guigou(ジャンニ・ギグー)
1975年2月22日、ウルグアイのNUEVA PALMIRA生まれ、175cm、72kg。中盤の様々なポジションをこなすユーティリティー・プレイヤー。堅実なプレーでチームに貢献する。ギグーは1995年にモンテビデオにあるナシオナル・デ・フットボールでキャリアをスタートさせた。1998年には、ナシオナルの一員としてウルグアイ王者に輝いている。200-01シーズンにASローマに移籍し、15試合に出場、スクデット獲得に貢献した。03-04シーズンはシエナにレンタル移籍し32試合に出場し、質の高いプレーは高い評価を得ている。プロキャリア10シーズンで132試合出場8得点。得点力はさほど高くないのだろうか。
『15』 Martin Jorgensen(マルティン・ヨルゲンセン)
1975年10月6日、デンマークのオルストッド生まれ、179cm75kg。ワールドクラスのポテンシャルを持つ攻撃的MF。そのドリブルはスラロームのようで、ナイフのような切り返しは相手DFを空転させる。デンマーク代表でも「10」番を背負う、このファンタジスタは左サイドをえぐらせたらピカイチだ。シュート力もあり、FWとしても働ける。戦術理解も優れており、あらゆる戦術にフィットしてみせる。1993-94シーズンにデンマークのAGFアーフスのトップチームにデビューし、96-97シーズンまで在籍。4シーズンで82試合13ゴールを挙げる。97-98シーズンからセリエAウディネーゼに移籍。奇しくもデビュー戦の相手はフィオレンティーナであった。ウディネーゼで7シーズンを過ごし、主力として近年のクラブの躍進に大きく貢献した。03-04シーズンまでセリエA通算184試合で30得点を挙げている。03-04シーズンはセリエAのアシスト王でもある。フィオレンティーナのキープレイヤーになる事は間違いないだろう。ちなみに、デンマーク下部リーグに所属するクラブ、ボルプfBの株式を50パーセント所有しており、会長を務めている。
『16』 Marko Donadel(マルコ・ドナデル)
1983年4月21日、イタリアのコネリアーノ生まれ、179cm、73kg。ディフェンスラインの前での執拗なマーク、的確なカバーリング、奪ったボールを速攻に繋げるセンスが持ち味のMF。ミランの先輩アルベルティーニとよく比較された。U-21イタリア代表でもあり、アテネ五輪でも全試合に出場した。(途中出場も含む)ドナデルはミランのプリマベーラで育ち、00-01シーズンにセリエAデビューしている。このシーズンは1試合のみの出場、翌シーズンは出場機会がなく、自らフロントにレンタル移籍を要求し、02-03シーズンは当時セリエBのレッチェにレンタルされ29試合に出場した。03-04シーズンはパルマにレンタルされ24試合出場。今季はサンプドリアにレンタルされ8試合に出場していた。冬の移籍市場で半年間のレンタルでフィオレンティーナに移籍してきた。レンタル移籍を繰り返していることもあってか、精神面の成長も著しい。05-06シーズン前の夏にフィオレンティーナに完全移籍した。
『44』 Luigi Piangerelli(ルイジ・ピアンジェレッリ)
1973年10月19日、イタリアのポルトルカナッティ生まれ、174cm、70kg。攻撃が好きなMF陣の中で、幅広いカバーリングで守備専業として働き、03-04シーズン前半はレッチェのキャプテンとして渋いプレーを見せていた30歳のベテラン。91-92シーズンよりセリエBのCESENAに所属。デビューは翌シーズンで20試合に出場。97-98シーズンにセリエAのレッチェに移籍、2度のセリエB降格を経験するも、いずれも1シーズンでセリエAに復帰している。03-04シーズン冬の移籍市場でフィオレンティーナに移籍した。デビュー以来、毎シーズン30試合前後出場しており、ある意味、守備面で計算できるプレイヤーだ。
『8』 Luca Ariatti(ルカ・アリアッティ)
1978年12月27日、イタリアのレッジョ・エミーリア生まれ、182cm、72kg。 18歳時の96-97シーズンに当時セリエAのレッジアーナでデビュー、3試合に出場した。クラブは翌シーズンにセリエBに降格、翌々シーズンはセリエC1のアスコリにレンタル移籍した。99-2000シーズンには再びレッジアーナに復帰、02-03シーズン冬のメルカートでフィオレンティーナに移籍するまでレッジアーナに所属した。03-04シーズンは39試合に出場し、フィオレンティーナのセリエA昇格に貢献した。キャリア通算4得点と得点力は低く、派手さはない。しかし、堅実にプレーする安定したサイドのMFである。
『6』 Luis Bujia Helguera(ルイス・ホルヘ・エルゲラ)
1976年6月9日、スペインのEL FERROL生まれ、181cm、72kg。 巧みな組み立てを見せるミッドフィルダー。1歳年上の兄はレアル・マドリーのイバン・エルゲラ(スペイン代表)である。1995-96シーズンよりマンチェゴ(スペイン3部)でキャリアをスタート。翌シーズンは2部Bに昇格。この時点では兄よりも圧倒的に出場機会が多かった。1997-98よりレアルサラゴサ Bに所属、そのとしにトップチームに昇格し、1999-2000シーズンまでプレー。2000-01シーズンより2シーズンをウディネーゼで過ごし、ヨルゲンセンと共に活躍した。02-03をスペインのアラベス、03-04には再びセリエAに活躍の場を移し、前半をアンコーナでプレーした。03-04シーズン、冬のメルカートでフィオレンティーナに移籍し、10試合に出場した。
Cristian Brocchi (クリスティアン・ブロッキ)
1976年1月30日、ミラノ生まれ、172cm、65kg。左右どちらのサイドでもプレーできるMF。ACミランのユースチーム出身。しかし、トップチームでの経験を求めて1995年にACミランを去り、セリエC1所属のACプロ・セストに移る。同クラブには2シーズン在籍したが、最初のシーズンにチームは降格。翌シーズンは惜しくも昇格を逃がした。その後、ルメッツアーネ・カルチョに移籍し、セリエC1に復帰する。しかし、再びプレーオフを戦いながらも昇格を逃がし、今度はエラス・ベローナFCに移籍。セリエBにステップアップした。ベローナでの1シーズン目には6ゴールを挙げ、クラブのセリエA昇格に貢献。翌季もセリエAで27試合に出場するなど調子を維持し、00-01シーズンにインテルへの移籍を勝ち取った。01-02シーズンにグリエルミンピエトロとのトレードでミランに加入。ミランでの最初のシーズンには、セリエAの12試合とUEFAカップの7試合に出場した。2003年には、UEFAチャンピオンズリーグを制したミランの一員として、インテルを敗退に追いやった準決勝の第1戦と第2戦の両試合でプレーしている。03-04シーズンにミランはリーグ優勝を果たしたが、ブロッキが出場したのは11試合。先発もわずか2試合にとどまり、再び不満の残るシーズンを送った。04-05シーズンもリーグ11試合、チャンピオンズリーグ2試合、イタリア杯3試合と出場機会が少なかった。05-06シーズン前にミランからレンタルで獲得した。尚、契約には買い取りのオプションも含まれている。
FW
Luca Toni(ルカ・トーニ)
生年月日 1977年5月26日、モデナ生まれ、194cm、89kg。長身の割には足元のプレーがうまく、ボールキープ力に優れる。左右両足からゴールを狙えるイタリア代表FW。トーニは1994年に地元モデナのチームでデビューし、2001年にロベルト・バッジオがいるブレシアに移籍しました。ここで2シーズンを過ごし、15ゴールをあげた。2003年には当時セリエBだったパレルモに移籍して、45試合で30ゴールをあげるという大活躍をし、パレルモのセリエA昇格に大きく貢献、パレルモでの2年目となった04-05シーズンは35試合に出場して、20ゴールをあげ、リーグ6位の成績に導き、クラブ史上初となったUEFAカップ出場権獲得に力を尽くした。パレルモでは実に2年間で50ゴールも挙げている。その実績が認められて、イタリア代表にも呼ばれ、2004年8月18日のアイスランド戦で代表デビュー、パレルモで行なわれた2戦目のノルウェー戦では代表初得点を挙げ、値千金の決勝弾であった。ここまで10試合で2ゴールを挙げている。
05-06シーズン前に移籍金1,000万ユーロ(約13億5,000万円)でフィオレンティーナに移籍、4年契約で年俸2億1千万になるようである。
『99』 Valeri Bojinov(ヴァレリ・ボジノフ)
1986年2月15日、ブルガリアのGORIAHOVITZA生まれ、178cm、78kg。
強力な左足のシュートに加え、スピード、キープ力、闘争心を備えるブルガリア期待の若手FW。同じくセリエAで開花したブルガリア人FWムトゥ(パルマ→チェルシー→ユベントス[リボルノ])を凌ぐ逸材とも言われている。
プロサッカ選手の継父に育てられ、少年サッカーチームにおいて活躍、国際ユーストーナメント等の大会で得点王を獲得するなどの活躍を見せた事からレッチェにスカウトされた。セリエAデビューは、01-02シーズン1月27日のブレシア戦。なんと15歳11ヶ月12日のことで、これはセリエA外国人最年少デビュー記録であり、イタリア人を含めても、彼より若くしてデビューしたのは、ジャンニ・リベラ(1969年バロンドール)を含むたったの4人に過ぎない。まさに「ゴールデン・ボーイ」だ。そのシーズンは2試合出場にとどまったが、プリマヴェーラのコパ・イタリアで優勝を成し遂げている。
02-03シーズンはセリエBにて15試合2得点。昇格した03-04シーズンは主力として28試合3得点。17歳10カ月で初得点した。これはセリエAの外国人選手の最年少記録である。レッチェではチェバントン(モナコ)の後釜として期待され、04-05シーズンは20試合で11得点をマークしている。(その他イタリア杯では3試合3得点を挙げている。)
代表デビューは2004年6月22日欧州選手権のイタリア戦。その後自身のアイドルであったストイチコフが代表監督となってからも主力として認められ、同年8月18日アイルランド戦で代表初得点を記録した。
『9』 Christian Rigano'(クリスティアン・リガノ)
1974年5月25日、イタリアのLIPARI生まれ、191cm、84kg。長身を生かしたポストプレー、めぐまれた体格からのボンバーシュートが武器のFW。”フィレンツェのアイドル”と呼ばれる。1993年地元アマチュアクラブでキャリアをスタートさせたリガノは98-99シーズンにIGEA VIRTUSで22試合11得点、99-00シーズンに28試合17得点を挙げ、翌00-01にセリエC2のTARANTOに加入。30試合14得点を挙げてC1昇格に貢献。01-02シーズンは33試合27得点と驚異的な成績を残した。02-03シーズンからはセリエC2のフィオレンティーナ(当時はフロレンティア・ヴィオラ)に移籍。ここでも32試合30得点とゴールを量産した。03-04シーズンはセリエBで44試合23得点(得点ランク4位)と前年の成績がフロックでないことを示した。30歳でセリエA初挑戦となる遅咲きのボンバーが巻き起こす旋風に期待したい。
公式HP:http://www.christianrigano.it/
『76』 Enrico Fantini(エンリコ・ファンティーニ)
1976年2月27日、イタリアのクーネオ生まれ、183cm、75kg。1994-95シーズンにセリエAユベントスでデビューしたが、わずか1試合出場。翌シーズンはセリエAクレモネーゼに移籍し、20試合出場1得点。その後もヴェネツィア(B)、アレッサンドリア(C1)、リヴォルノ(C1)、チッタデッラ(C1)、キエーボ(B)、モデナ(B)、ヴェネツィア(B)と毎シーズン移籍を繰り返し、プレーの場は下部リーグに移った。03-04シーズン途中にフィオレンティーナに移籍したが、24試合出場2得点と活躍できなかった。しかし、セリエA昇格を争うペルージャとのプレーオフ2試合で2得点と、チーム全得点を叩き出し昇格に大きく貢献した(2戦目では途中退場したが)。2桁得点を挙げたシーズンはアレッサンドリアでの10得点のみであり、得点力にやや不安がある。
『20』 Giampaolo Pazzini(ジャンパオロ・パッツィーニ)
1984年8月2日、イタリアのPESCIA生まれ、180cm、74kg。イタリアの時代を担う若手FWの一人で、U-21イタリア代表メンバーでもある。パッツィーニは、イタリア国内でも最高のユース育成システムを持つとも言われるアタランタで育ち、03-04シーズンにセリエBでデビュー。39試合に出場し、9得点をあげて、同クラブの1シーズンでのセリエA復帰に貢献した。04-05シーズンにセリエAデビューを果たす。リーグでは12試合で3得点、イタリア杯では4試合3得点を挙げている。05年冬の移籍マーケットでフィオレンティーナに加入した。
監督
Claudio Cesare Prandelli (クラウディオ・チェーザレ・プランデッリ)
1957年8月19日、Orzinuovi (Brescia)生まれ。
プランデッリは現役時代、クレモネーゼやアタランタ、そしてユヴェントスでミッドフィルダーとしてプレーした。ユベントスでは6シーズン在籍し、スクデットを3度、チャンピンズカップ1度獲得している。引退後はアタランタ・ユースの監督を務め、1997年まではユース世代の育成に従事した。99/00シーズン、セリエBから昇格したばかりのヴェローナを指揮し、予想外の成績を残した。シーズン前はセリエB降格候補筆頭にまで挙げられていたものの、9位という成績でシーズンを終えた。あのアリゴ・サッキに「カルチョ・マイスター」とまで言わしめた。02/03シーズン、そのアリゴ・サッキに招かれて、中田英が所属していたパルマを指揮。プランデッリ監督体制の2シーズン目に、出場機会が減った中田英はボローニャに期限付き移籍した経緯もあり、不仲説も取り沙汰された。04/05シーズン初めからローマの指揮を執ったが、シーズン開幕直前に病気の夫人を看病するため辞任した。05/06シーズンよりフィオレンティーナの指揮をとる。約1年振りの現場復帰となった。
スタッフ
助監督:Roberto Galbiati(ロベルト・ガルビアーティ)
GKコーチ:Lido Vieri(リド・ヴィエリ)
フィジカルコーチ:
Sergio Bizioli(セルジオ・ビッツィオーリ)、Enzo Menale
チームドクター:Paolo Manetti(パオロ・マネッティ)
マッサージ:Maurizio Fagorzi、Daniele Misseri
名誉会長
Diego Della Valle(ディエゴ・デッラ・ヴァッレ)
会長
Andrea Della Valle(アンドレア・デッラ・バッレ)
副会長
Gino Salica(ジーノ・サリカ)
代表取締役
Sandro Mencucci(サンドロ・メンクッチ)
技術責任者
Giovanni Galli
スポーツディレクター
Pantaleo Corvino(パンタレオ・コルヴィーノ)
1950年生まれ。「タレント発掘の天才」と言われるパンタレオ・コルヴィーノ氏は、若手発掘にかけて右に出るものがいないと言われている。04/05シーズンまで在籍したレッチェの若手の充実ぶりでも明らかだ。ミッコリや、1月に一足早くフィオに加入したボジノフ、今やビッグクラブがラブコールを送るヴチニッチ、さらには昨季モナコに移籍したチェバントンらは、すべて彼が発掘した選手だ。また04/05シーズンの得点王ルカレッリも発掘した。彼は他人にはほとんど頼らず、すでに自分の足と目でスカウト活動を行っており、噂を耳にすれば、例え3部リーグであろうが5部リーグだろうが自らの足で出掛け、そして自らの目で確かめる。そして狙った獲物は決して逃さないと言われている。コルヴィーノの招聘に成功したフィオレンティーナにとっては、スター選手を一度に何人も獲得したような補強に成功したといっても決して過言ではないだろう。
クラブを去った選手たち
Cristiano Lupatelli(クリスティアーノ・ルパテッリ)
1978年6月21日、イタリアのペルージャ生まれ、188cm、83kg。GKとしての能力が高く、特に判断力と大胆な飛び出しによる前方守備範囲のが広さが特徴で、U-21イタリア代表の経験もある。1996年セリエBのフィデリス・アンドリアに加入、99-00シーズンにローマ入り。ローマがスクデットを獲得し00-01シーズンに8試合出場した。翌シーズンからキエーボに移籍。不動の守護神としてキエーボの躍進に貢献した。その飛びだしの速さはもちろん、ローマ時代よりも安定感を増したパフォーマンスは高く評価されている。03-04シーズンはローマに復帰したが、03年4月に膝の十字靭帯を負傷。手術は成功したが、長期離脱となり出場機会はなかった。それゆえ、今シーズンにかける意気込みは強い。セリエA出場71試合という経験はGKとしてはこれからであろう。スキンヘッドで、もみ上げを伸ばしている風貌は独特である。セハスとのポジション争いは熾烈なものになるだろう。05-06シーズン前の夏季キャンプ2日目に、完全移籍オプションが付いた1シーズンのレンタル契約でパルマに移籍することとなった。
Girgio Chiellini(ジョルジョ・キエッリーニ)
1984年8月14日、イタリアのリヴォルノ生まれ、186cm、76kg。爆発的パワーを持ち、ダイナミックな動きが持ち味の左サイドバック。その攻撃力は高く評価されるが、初挑戦のセリエAでの守備力については未知数だ。U-21イタリア代表としてアテネ五輪に出場し、銅メダルを獲得している。
キャリアは2000-01シーズン、生まれ故郷のクラブ、リヴォルノで始まったが、02-03シーズンまでは出場機会が少なかった。03-04シーズンには41試合出場、4得点とチームのセリエA昇格に大きく貢献した。04-05シーズン前のメルカートでユベントスに移籍したが、共同所有という形でフィオレンティーナに加入した。フィオレンティーナ在籍時にイタリア代表にもデビューし、今後の活躍が期待されたが、05-06シーズン前にユベントスに復帰した。
Enzo Maresca(エンツォ・マレスカ)
1980年2月10日、サレルノ生まれ、180cm、77kg。イタリア人選手としては珍しく、激しいプレーが持ち味のミッドフィルダー。正確なパスと力強いシュートを兼ね備えている。イングランドに移籍した後にようやく注目を集めるようになった。11歳の時にACミランに入団。1994年、カリアリに移籍するが、目立った活躍はできず、1998年にイングランド1部リーグのウェスト・ブロムウィッチへ移った。そこでマレスカは2シーズンで34試合に出場し、4得点を記録した。1999年、600万ユーロ(約7億8600万円)の移籍金でユベントスの一員としてセリエAデビューを果たす。しかし、このシーズンのトップチームでの出場はこの1試合だけだった。翌シーズンはレンタル移籍先のボローニャで23試合プレー。2001年にユベントスへと戻ったマレスカは16試合に出場し、1得点を記録。チームはスクデットを獲得した。02-03 シーズンはレンタル移籍でピアチェンツァに加入し、31試合で9ゴールの活躍。03-04シーズンは再びユベントスに戻り、29試合4ゴール(リーグ、コッパイタリア、チャンピオンズリーグ)という成績を残している。フィジカルに強く、中盤で激しくプレーするが、的確な判断力でゲームを組み立て、得点能力も備えている。将来を嘱望されたエリートであり、イタリア代表選出が確実な若手である。05-06シーズン前にユベントスに復帰することになったが、2005年7月14日、スペインのセヴィージャに移籍することが決定的となった。公式発表はされていないが、チーム間では移籍金300万ユーロ(約5億円)で合意に達しているという。
Christian Obodo(クリスチャン・オボド)
1984年5月11日、ナイジェリアのラゴス生まれ、176cm、72kg。2001年の夏にテスト生からセリエAペルージャのプリマヴェーラへ入団。01-02シーズン終盤にセリエAデビュー。02-03シーズンは30試合出場1得点。03-04シーズンは41試合1得点(リーグ、コッパイタリア、UEFA杯)の成績。近年、めきめきとと頭角を現し、今では国内外のビッククラブが注目を集める選手。ポジションはディフェンシブミッドフィルダーで運動量が非常に多くまさに中盤のダイナモ。身体能力、視野、テクニックは一流だ。セリエAではベストイレブンに選ばれたりするほどの活躍を見せている。が、一方、前半途中交代などもありワーストイレブンにも選ばれることもあった。安定してプレーできれば、まさにダーヴィッツやセードルフ並に成長できる?とにかく今後が楽しみなプレイヤーだ。
05-06シーズン前、一旦は共同保有だったペルージャに復帰、そのままウディネーゼ移籍が決まった。
Jaime Andres Valdes(ハイメ・ヴァルデス)
1981年1月11日、チリのサンチアゴ生まれ、172cm、69kg。元チリ代表のボランチ。1998年、チリ国内リーグのPalestinoのプリメーラでキャリアをスタート、1999年には43試合で15ゴールを挙げた。2000-01シーズンより当時セリエAのバーリに移籍、8試合に出場。バーリは翌年セリエBに降格となったが、33試合に出場、02-03シーズンは32試合に出場した。03-04シーズンは42試合4得点と貢献したが、チームはセリエC1に降格となった。04-05シーズンよりイタリアでの2つ目のクラブ、フィオレンティーナに移籍した。無尽蔵のスタミナは20チームに増えたセリエAの長期戦では貴重な戦力になるであろう。04-05シーズン冬のメルカートでレッチェに移籍した。
Fabrizio Miccoli(ファブリツィオ・ミッコリ)
1979年6月27日、イタリアのナルド生まれ、168cm、64kg。かつてはイタリアサッカー界期待の新星と呼ばれ、イタリア代表を担う逸材へと順調に成長している。FWとしても、攻撃的MFとしても働けるが、やはりFWとして使いたい。鋭いドリブル突破と高い決定力を持ち、オフ・ザ・ボールの動きもよく、絶大な存在感を示す。キャリアは96-97シーズン、セリエ C1のカザラーノにてトップデビュー。29試合に出場し8得点を挙げた。翌シーズンは28試合で11得点を挙げ、98-99シーズンよりセリエBテルナーナへ加入。4年の経験を積んで、02-03シーズンにユベントスへ引き抜かれる。しかし、移籍後すぐにペルージャへレンタルされ、セリエAデビュー戦でいきなり先制ゴールを記録し、その名を知らしめた。03-04シーズンはユベントスに復帰し、25試合8得点とチームに貢献した。04-05シーズン前、移籍市場が閉鎖する8月31日に、ユベントスのイブラヒモビッチ獲得に押されたように、共同保有という形でフィオレンティーナに加入した。
ミッコリもユベントスに振り回された選手といっていいだろう。ミッコリ自身は残留を希望したが、自身を発掘してくれたコルヴィーノSDに裏切られたとも言ってよい形でユベントスに復帰することとなった。