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| Damien Duff No.11 MF |
ダミアン・ダフ(178cm、72kg、1979年3月2日アイルランドのバリ−ボデン生まれ
)左サイドを力強く、スピード溢れるドリブルで切れ込むプレイを得意とするウィンガー。またクロスの精度も高く、得点能力も兼ね備え、無尽蔵のスタミナを持つ。FWもつとめることができる。そのプレーは、世界最高のサイドアタッカーと名高いウェールズ代表ライアン・ギグス(マンチェスター・ユナイテッド)、そしてオーストラリア代表、ハリー・キューウェル(リバプール)とも並んで評される。 彼のキャリア初期はクラブチームよりもナショナルチームでの活躍かもしれない。ワールドユース選手権1997年マレーシア大会に出場。翌1998年3月25日、チェコ戦にてフル代表デビューしている。また、続く1999年にはアイルランド代表として初の2大会連続ワールドユースナイジェリア大会に出場し、ベストイレブンに選出されて大きく注目を集めた。2002年ワールドカップでは4試合、390分にフル出場し、サウジアラビア戦で1ゴールを決めるなどベスト16進出に大きく貢献した。 以前所属していたブラックバーンには、1996年から所属。1997年5月11日の Leicester City戦でデビューしている。ブラックバーン一筋で活躍してきた。2001年にプレミアリーグに昇格し、2002年にリーグカップで優勝を収めている。2002-03シーズンにはハムストリングの故障に悩まされ、出場試合は少なかったものの、自己最多の9得点を挙げチームのUEFAカップ出場権獲得に貢献した。リバプールやマンチェスター・ユナイテッドからのオファーもあったが、2003年7月21日、チェルシーにとって過去最高の移籍金額約1700万ポンド(約31.5億円)で移籍してきた。 ![]() Blackburn Rovers 1996-1997 1試合 0得点 1997-1998 26試合 4得点 1998-1999 28試合 1得点 1999-2000 39試合 5得点 2000-2001 32試合 1得点 2001-2002 32試合 7得点 2002-2003 26試合 9得点 |
| Frank Lampard No.8 MF |
フランク・ランパード(185cm、75kg、1978年6月20日イングランドのロンフォード生まれ
)正確なパスと豊富な運動量、広い視野を兼ね備え、攻撃の基点としてゲームをコントロールする。またプレーの積極性も増し、ゴール前へ顔を出し、貪欲にゴールを狙う。既にリーグ通算200戦以上に出場している若きベテランである。ラニエリ監督も主軸として全幅の信頼を寄せており、今やチームの顔と言っても過言ではない。イングランド代表でもレギュラーの座をうかがう新進気鋭のミッドフィルダー。 ランパードは親友のリオ・ファーディナンド(マンチェスター・ユナイテッド)やチームメートのジョー・コールと同じく、ウェストハム・ユナイテッドのユース養成機関の出身。プレミアリーグでのデビューは1996年1月31日で若干17歳の時だった。彼の父は1967年から1985年までウェストハムでDFとして活躍しており、ランパードのデビュー時のコーチを務めていた。また、叔父のハリー・レドナップ(現ポーツマス監督)は当時の監督であった。それ故にデビュー戦では「親の七光りだ」とブーイングを浴びたらしい。95-96シーズンの一時期をレンタル先のスウォンジ・シティで過ごした後、97-98シーズンにはウェストハムのレギュラーの座を獲得した。シーズンを重ねるごとに才能を開花させ、チームの中心として活躍し、「貴公子」とも呼ばれた。ウェストハム在籍中の6シーズンで148試合に出場し、23ゴールを記録した。 00-01シーズン後に監督である叔父とコーチの父親が解任され、ランパードの立場も微妙になるとともに、更なるステップアップを望み、また彼の将来性も買われ、チェルシーに移籍(移籍金推定約20億9600万円)した。ロンドンを本拠 地とするクラブ間での移籍は大きなプレッシャーであっただろうが、移籍したばかりの01-02シーズンで欠場したのは1試合のみで、5ゴールを決め、見事プレッシャーをはねのけた。02-03
シーズンは彼のキャリア中、2度目の全試合出場を記録。6ゴールを挙げチームに大きく貢献し、年々そのプレーに磨きをかけている。理想とするプレイヤーはロイ・キーン(マンチェスターユナイテッド)とパトリック・ヴィエラ(アーセナル)だと言う。おまけに、トッテナムのジェイミー・レドナップ(戸田のライバル?)は従兄弟にあたる。代表チームではケビン・キーガン監督時代の1999年10月10日のベルギー戦でデビューを果たした。イングランドが結果を残せなかった EURO 2000ではメンバーから外れ、代わりにU-21代表のキャプテンに選ばれた。2001年2月、スベン=ゴラン・エリクソン監督の初采配試合(スペイン戦)でプレーしたが、2002W杯の出場メンバーからは外された。しかし、EURO2004予選では、代表復帰を果たして試合に出場している。2003年8月20日に行なわれたクロアチアとの親善試合で代表初ゴールを決め、レギュラー定着に向けて、エリクソン監督への絶好のアピールになったであろう。スコールズ(マンチェスター・ユナイテッド)やジェラード(リバプール)に取って代われるだろうか…。 1994-1995 West Ham United 0試合 0得点 1995-1996 2試合 0得点 Swansea City 9試合 1得点 (on loan 1995/6/10) 1996-1997 West Ham United 13試合 0得点 1997-1998 31試合 4得点 1998-1999 38試合 5得点 1999-2000 34試合 7得点 2000-2001 30試合 7得点 2001-2002 Chelsea 37試合 5得点 2002-2003 38試合 6得点 ついでに…お父さんです。1948年9月20日生まれ、ウェストハム一筋、現役18シーズンで通算551試合出場、18ゴールです。 |