いつになるか分かりませんが情報集めています。
| Adrian Mutu No.7 FW |
アドリアン・ムトゥ(180cm、74kg、1979年1月8日ルーマニアのピテスティ生まれ)スピードを生かしたドリブルで相手DF陣を振り切り、また切り裂き、強力なシュートを放つ。ルーマニアでは「ハジの再来」とまで称され、今後のルーマニアに不可欠となる存在である。そして03-04シーズン前に加入したチェルシーでもその地位を固めつつある。パスセンスにも優れていると言われるが、やや持ち過ぎの感もある。ラニエリ監督曰く、「ムトゥは、とても優れた第2のフォワードです。彼は、すべてのポジションでプレーすることができて、速く、また強いです。そして、セリエAの1シーズンに18ゴールを決めるとても危険なプレーヤーです」 キャリアはルーマニアのアルゲス・ダチア・ピテシュティの下部組織で始まり、1997年3月15日にトップデビューしている。その後ディナモ・ブカレストへ移籍し、MFからFWへコンバートされ、10代ながら主力として活躍。ここでの活躍がインテルの目にとまり、99-00シーズン途中にルーマニア人として10人目となるセリエA選手となる。しかし、インテルでは出場機会も少なく、シーズン終了後にヴェローナへレンタル移籍するもシーズンを通して目立った活躍はできなかった。しかし、試合に出場する事で着実に成長、精神面での成長も加わり02-03シーズンよりパルマへ移籍。攻撃の要として活躍し、得点ランク2位タイとなる18得点を挙げセリエAでもトップクラスの実力である事を証明して見せた。03-04シーズン前には新主将に任命され、背番号も中田から「10」を受け継ぎ、パルマを牽引する予定であったが、2003年8月14日、1580万ポンド(約29億円)でチェルシーに電撃移籍してきた。 負けず嫌いの性格でも知られているが、6才の時ピテシュティジュニアチームのメンバーから外されてしまい、その理由がリーグ登録が7才からであった事から、家に泣きながら帰宅後、「何故12ヶ月早く生んでくれなかったのか」と母親に文句を言ったという逸話が残っているそうだ。 ![]() 将来を嘱望される彼だが、ピッチ外での問題もあります。2003年の夏、テレビのプレゼンターでもある妻に暴力をふるってブカレスト当局に告発されました。その後はどうなったか知りませんが(笑) 1996-97 アルゲス 5試合 0得点 1997-98 アルゲス 21試合 4得点 1998-99 アルゲス 15試合 7得点 ディナモ・ブカレスト 15試合 4得点 1999-00 ディナモ・ブカレスト 18試合 18得点 インテル 10試合 0得点 2000-01 ベローナ 25試合 4得点 2001-02 ベローナ 32試合 12得点 2002-03 パルマ 31試合 18得点 |
| Jimmy Floyd Hasselbaink No. 9 FW |
ジミー・フロイド・ハッセルバインク(188cm、85kg、1972年3月27日スリナム生まれ、オランダ国籍
)パワーおよびスピードを兼ね備え、撃つことを恐れないストライカー。コンパクトにシュートを放ったり、中盤から振り抜く豪快なシュートも見せる。 彼のキャリアは1990年、オランダのテルスターで始まっているが、花開いたのは96-97シーズンに移籍したボアビスタ以降であろう。ボアビスタ在籍中、彼の母は「ゴールの前の肉食動物」と呼んだとか。以来、常に安定したパフォーマンスを見せ、ボアビスタでの1997年にポルトガルカップ優勝に貢献、98-99シーズンのリーズ在籍時に18ゴール、01-02シーズンにはチェルシーで23ゴールを挙げ、二度プレミアシップ得点王にも輝いている。02-03シーズンはゾラの後塵を拝した感もあが、今季の奮起が期待される。 オランダ代表歴もあり、1998年5月27日カメルーン戦でデビュー以来、23キャップで9ゴールをあげている。ナショナルチームでの現状はベンチスタートが多いようだ。疑いもなく得点能力に長けた彼であるが、ほとんどのオランダ人監督は単なるゴールよりももっと多くをフォワードに望むのである。つまり、パトリック・クライファートやルート・ファン・ニステルローイらが持つ巧妙なボールコントロールや技術が不足していると見られているらしい。オランダのファンもまた、彼のパワフルなスタイルよりも、所謂「Total Football」を好むのでしょうか。。。しかし、極めてパワフルなシュート力、フィジカルを持っているハッセルバインクは、あらゆる角度からゴールを狙い、すぐにゲームを混乱させることができるプレーヤーです。1990-91 テルスター 4試合 0得点 AZ Alkmaar 11試合 2得点 1991-92 AZ Alkmaar 26試合 2得点 1992-93 AZ Alkmaar 9試合 1得点 Campomaiorense −試合 -得点 1993-94 Campomaiorense −試合 -得点 1994-95 Campomaiorense −試合 -得点 1995-96 Campomaiorense 31試合 12得点 1996-97 Boabista 29試合 20得点 1997-98 Leeds United 33試合 16得点 1998-99 Leeds United 36試合 18得点 1999-00 Atletico Madrid 34試合 24得点 2000-01 Chelsea 35試合 23得点 2001-02 Chelsea 35試合 23得点 2002-03 Chelsea 36試合 11得点 |
| Hernan Crespo No.21 FW |
エルナン・ホルヘ・クレスポ(184cm、78kg、1975年7月5日アルゼンチンのフロリダム生まれ
)ポジショニング、パワー、スピード、テクニックに優れ、ポストプレーもこなす世界最高レベルのセンターフォワード。また、ゴール嗅覚に優れており、「ティエリ・アンリ(アーセナル)のスピード、ロナウド(R・マドリード)のドリブル、ヴィエリ(インテル)やバティストゥータ(アル・アラビ)のようなパワーを持ち、ヘディングも強いファンタスティックなストライカー」と評価する人もいる程である。アルゼンチン代表ではバティストゥータからエースストライカーの名を引き継いだスター選手である。ホルへ・ヴァルダーノ(元アルゼンチン代表、現R・マドリードのジェネラル・マネージャー)にプレースタイルが似ていることから「ヴァルダニート」というニックネームがついている。 クレスポのキャリアはリバープレートから始まった。6才の頃からリバープレートの下部組織で過ごし、18才まで控えに甘んじていた。しかし当時トップチームを率いていたパサレラによってその才能を見い出され、1993年トップデビューを果たす。93-94前期リーグ優勝、93-94後期リーグにて得点王を獲得、94-95前期にもリーグ優勝に大きく貢献し、1996年リベルタドーレス杯で優勝の立役者となると、約4億円でパルマへ移籍した。 パルマ移籍後しばらくは目立った活躍がなかったが、シーズンを重ねる事に得点能力を大きく開花させた。パルマでは98-99シーズンにUEFAカップ優勝、コッパ・イタリア優勝に貢献、1999年イタリア・スーパーカップのタイトルをも制した。99-00シーズンにはセリエA得点ランク2位(シェフチェンコに1得点及ばず)の活躍を見せた。当時、チームメイトであったブッフォン、テュラム(ユベントス)、カンナバーロ(インテル)らとともに、スクデットを獲得するまでパルマから離れないと誓いがあるという噂があったが、00-01シーズン前、当時の移籍金最高額の約66億円でラツィオへ移籍。 ラツィオでは00-01シーズン26得点で得点王を獲得、その金額に値する活躍を見せた。また、クラブは変わったが2年連続でイタリア・スーパーカップを制覇した。しかし、クラブの深刻な財政上の理由により約22億円のバーゲン価格で02-03シーズンにインテルに移籍。 インテルでは怪我に泣かされ不本意なシーズンであったが、実にセリエA通算188試合で98ゴールを挙げたストライカーの能力に疑いの余地はなく、2003年8月26日、大型補強を敢行するチェルシーに約33億円で移籍となった。 ラニエリ監督はクレスポの入団に際して、「彼はインテルでの昨シーズン、チャンピオンズリーグ12試合で9ゴールを挙げている。均衡した試合は彼のゴールでものに出来る。どの試合でも良い試合は出来るが、ボールをネットに入れる人がいなければ意味がない。そして覚えていて欲しい。懸かっているのは私の首だ」とコメントし、クレスポに絶大な信頼を寄せていることを示した。 ナショナルチームではアルゼンチンユース代表として活躍し、1996年アトランタ五輪では6得点を挙げ得点王獲得、チームに銀メダルをもたらした。A代表デビューは1995年2月14日のブルガリア戦。1998年ワールドカップではバティストゥータの控えであり、イングランド戦のみ1試合の出場に終わった。しかし2002年ワールド杯南米予選では12試合出場9得点で予選得点王となり、本戦出場に主砲として活躍したが、本大会を前に調子を崩し、再びバティストゥータの控えに甘んじ、3試合わずか74分(スウェーデン戦で1得点)の出場にとどまった。 1993-94 River Plate 25試合 13得点 1994-95 River Plate 18試合 5得点 1995-96 River Plate 19試合 6得点 1996-97 Parma 27試合 12得点 1997-98 Parma 25試合 12得点 1998-99 Parma 30試合 16得点 1999-00 Parma 34試合 22得点 2000-01 Lazio 32試合 26得点 2001-02 Lazio 22試合 13得点 2002-03 Inter 18試合 7得点 |