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Sam Allardyce(サム・アラダイス)
生年月日:1954年10月19日生
出生地:Dudley(ダッドレイ), West Midlands, England
キャリア:
現役時代のサム・アラダイスは決してクラブにとって重要な選手ではありませんでした。しかし、所属したクラブではよい選手生活を送ったといえます。大きく、屈強なセントラル・ディフェンダーであったアラダイスは、1969年にボルトン・ワンダラーズの下部組織に加入、以後11年間をボルトンで過ごしました。1971年(17歳時)にプロ契約を結び、1973年(19歳時)にリーグデビューを飾り、1978年には2部リーグで優勝を果たしました。ボルトンでは184試合に出場、21得点を挙げました。しかしこの後、アラダイスはイングランドやアメリカ合衆国のクラブを転々とするのです。

1980年に15万ポンドでサンダーランドに移籍。25試合出場で2得点を記録しました。翌年は3部リーグのミルウォールに9万5千ポンドで移籍、その後、アメリカのTampa Bay Rowdies、イングランドのCoventry City、Huddersfield Townを転々とし、1985年(31歳時)に再びボルトン・ワンダラーズに帰ってきました。ここで1シーズンを過ごし、Preston North Endへ移籍、ウエストブロムウィッチで現役を引退しました。

アラダイスはサンダーランドのスタッフを経験した後に、監督としてのキャリアをアイルランドのリメリックでスタートさせました。そこでの功績によりイングランドに呼び戻され、1994年にブラックプールで指揮をとりました。最初のシーズンは3部への降格をまぬがれたものの、95/96シーズンは3部に降格、解任されてしまった。
失職したアラダイスは96/97シーズン途中(97年1月)からノッツ・カウンティを指揮。しかし、そのシーズンのクラブは既に2部リーグの絶望的な順位に位置しており、アラダイスはほとんど何もできず3部に降格してしまいました。だが、完全な準備をして臨んだ97/98シーズンには99ポイントを獲得して優勝、アラダイスは監督として最初のタイトルを獲得したのです。
99/00シーズン途中までノッツ・カウンティで指揮をとった後、45歳の誕生日であった99年10月19日、アラダイスは現役生活の大半を過ごしたボルトン(当時2部相当)の監督に就任しました。
99/00シーズンは6位、00/01シーズンには3位の成績を残し、プレーオフで優勝、01/02シーズンよりプレミアシップに昇格した。しかし所詮ボルトンは残留を争うクラブだった。このシーズンは降格圏まで4ポイントの16位でシーズンを終え、02/03シーズンには元フランス代表MFジョルカエフ、ナイジェリア代表MFオコチャをフリーで獲得し、更には元スペイン代表のイヴァン・カンポを獲得、17位で危うく降格を逃れた。しかし、彼らの活躍もあって03/04シーズンよりチームは上昇曲線を描き、このシーズンは8位、04/05シーズンには6位と躍進、クラブ史上初となるUEFA杯出場権を手にした。

「ビッグ・サム」とも呼ばれる50歳のサム・アラダイス監督は次期イングランド代表監督有力候補の一人とも言われている。有名選手や不調に喘いで出場機会が減っている選手を激安価格で獲得し、再生させる「選手再生工場」とも例えられている。選手層の厚くないチームを残留させるのみならず、プレミア中位〜上位に導いた手腕は賞賛に値する。ただ試合に負けた時のコメントが議論を巻き起こすことがある。審判を批判して1500ポンドの罰金を課されたことがあるくらいだから。

試合において、アラダイス監督は一風変わった行動をとる。なんとキックオフの笛が鳴るときにベンチにいない。彼はスタンドで座っている。スタンドからピッチを眺め、選手の動きを確認し、ベンチにいるヘッドコーチに指示を送る。その後ベンチに下りてくるのだ。

余談ではあるが、ダーツの腕前はプロ並と言われている。